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12月上旬まで異常に暑かった北九州だったが、1月に入ると普通に寒くなった。北海道と九州の気候を知った今、気温も当然なのだが、大きな違いは冬の長さにあるように思う。
そんな1月下旬、北九州市八幡西区。自称「北九州の副都心」JR黒崎駅に、彼らはやってきた。坊主頭をニット帽で隠し、荷物はバッグひとつだけの男、このサイトのウェブマスター横井千人(北海道)。ちょっとそこまで買い物といった風情。隣には、栄養失調気味の体にいろいろな布切れを巻き付け、背中には私の身長を超える高さのバックパックを担いだ座敷女、めぐちゃん(北海道)。パスポートは持ったかい。私たちは筑豊電鉄に乗車し、足元から際限なく湧き上がる暖房の熱風に苦情を言いながら、我が家に向かった。車掌が聞きつけて「暑いですか?」と心配していた。
筑豊電鉄は、端から端まで乗っても40分というちびっこ電車だが、車両が小さいため常に満員に近い。私の家はその沿線の福岡県中間市にある。中間市は自称北九州市のベッドタウンで、いわゆる「平成の大合併」に乗じて北九州市との合併を画策したが、既得権を失うのを嫌った議員たちにより、合併議案が否決された住民思いの自治体である。飛行機の関係で夜遅くなってしまったが、日本の北の端からやってきた2人のために、軽い食事と大量の酒で、ささやかな歓迎会を開いた。結論に向かって整然と会話を進めていく男2人、頭に浮かんだ単語やフレーズを思いつくままに並べ合っているようにしか見えない女2人。明日は福岡市に向かうため、10時半のバスに乗らねばならないのだが、宴会はそんな感じで午前3時まで続いた。
翌朝。肉体は動いているが頭は寝ている状態で、出発の準備が始まる。各自バスの時間を逆算して、無言で荷物をきっちりとまとめたのは、旅行者に染み付いた習性を観察するには格好の材料であっただろう。無事バスを捕まえ、あとは博多駅まで1時間ほど座っているだけである。ちーくんが買ったばかりのデジタル一眼を出し、しばらくみんなで遊んでいたが、すぐに全員寝てしまった。移動中に睡眠を取ろうとする習性もまた、旅行者の特徴である。JR博多駅に到着、すぐにかんちゃんに連絡を取り、近くの喫茶店で合流。かんちゃん(大阪府)、香織ちゃん(徳島県)、ずんこ(東京都)と久しぶりの再会。遅れてかとぅさん(栃木県)、まさを(北九州市)も到着。喫茶店ではまず胃薬の無料配付が行われ、全員トイレで大きい方を済ませてから出発。
福岡市民のメンバーは宴の準備のため後ほど合流することになっており、私が案内役を務めることになった。大半が二日酔いの集団を引き連れ、昼からラーメンである。地理に詳しくないながらも、太陽の位置で方角を確かめ、たどりついたのは「秀ちゃん」。かんちゃんがビールを頼んだので私も飲んだ。ジョッキに口をつけるかんちゃんの目はうるんでいた。私の目もうるんでいたのかも知れない。何か間違えたようだ。以前はかなりうまく感じた「秀ちゃん」だったが、ずんこは前日食べてきた「だるま」の方がうまかったと言った。かんちゃんはスープがぬるいと言った。うん。そんな気もする。多分残留アルコールが邪魔したのだろう。
ラーメン後、とりあえずバスで博多駅へ戻る。そこでかんちゃんから和尚の寺に行こうと提案があった。思い付くとすぐ電話するのが寒川という男である。果たして和尚はすぐ電話を取り、今から来てもいいという返事。バスを飛び降り、おばあちゃんに道を尋ねるその様子を写真に撮りながら、和尚の出迎えを待ち切れず、ついに承天寺の奇襲に成功した。寺の門で勝手に記念撮影などしていると、奥からお坊さんが一人出てきた。彼こそがブルース和尚、圓俊(福岡市)であった。ヒンドゥー教の聖地バラナシで頭髪をモヒカンにし、ビールを飲みながらギターを弾いていた面影はない。
寺は運動会ができるほどの広さだったが、きれいに掃除が行き届いていた。合宿には最適な物件に思えたが、午後4時以降は女人禁制という封建的な寺で、しかも殺生もダメということで、酒のつまみは枝豆と冷奴だけになりそうで断念した。和尚の居室でお茶をいただき、タニシの大繁殖したメダカの水槽で遊んでいると午後4時。「お前ら!はよ帰れ!」と優しい見送りを受けて、私たちは和尚に別れを告げた。女人禁制の掟は厳しいのである。
今日の宿は福岡市東区志賀島にある静遊館。車、バス、電車でも行けるのだが、かつて旅行者だった人の集まりということで、浪漫あふれる船を移動手段に選んだ。志賀島行きの高速フェリーは空いており、みんなふかふかのソファになっている座席に寝そべり始めた。遠ざかっていく福岡ドーム(現:福岡Yahoo! JAPANドーム)などには目もくれない。しまった。移動中は寝るという旅人の習性が頭に入ってなかったようだ。
持ち込みOK食事付き5000円はどんなボロ旅館かと身構えていたが、至って普通の民宿だった。とりあえず風呂でも入る。湯船には常温の水が張ってあり、長旅の疲れも一気に癒されていくようだった。ちーくん、かんちゃん、かとぅさんの3人はせっかくの風呂には入らず、熱いシャワーだけ浴びて出ていった。私とまさをは熱湯を加えながら30分以上粘り、芯まで温まることができた。夕食直前につな(福岡市)、はっしー(福岡市)、おかん(福岡市)、あき(京都府)が車で到着、夜の宴会の兵糧を搬入。
広間で夕食という名の前哨戦が始まった。さすがに志賀島は海の幸が豊富で、意外なほどぜいたくな料理だった。初めは瓶ビールを「まぁまぁまぁ」「あぁどうもどうも」「おっとっとっと」式でやっていたのだが、顔見せもあらかた済むと焼酎が持ち込まれ、だんだん無礼講色が強まってきた。
広間を後にし、部屋で仕切り直すことにしたが、まさをがまだなじめていない。人に優しい旅の仲間は、もっと輪に加わるようにいろいろ話題を振る。まさをも酒が回ってきたのか雰囲気に慣れてきたのか、ぽつぽつと愉快なトークが出始めた。まさをが乗ってきたのがうれしいちーくんは「まさをが来たよ!」と両手の拳を交互に振り上げて喜びを表現した。前回徳島合宿で生まれた伝説「カンチョー!」に続く、福岡合宿伝説「まさをが来たよ!」の誕生である。これより先はまさをの独壇場となり、まさをのための「まさをが来たよ!」の大合唱が夜明けまで続くことになる。まさをが飲めば「まさをが飲んだ!」まさをが寝れば「まさをが寝たよ!」まさをが起きれば「まさをが起きた!」。何か行動を起こせば合唱になり、会話に「まさを」という単語があれば合唱になり、皆はその度ごとにまさをの一言絶叫に期待した。かつてない歓迎ぶりを誰もがうらやみ、輪の中心のまさをに憧れただろう。
また徳島に引き続き、恒例のプロレスごっこでの交流も自然発生的に行なわれた。負傷する者が若干いたようだが、初対面同士もいた中でその壁を崩すには、己の肉体のみを武器に闘うことが最も効果的であった。
ここで特別ゲストまちゃ(東京都)が到着。隠し玉として用意していたのだが、事情を知らないあきが夕食の席で話してしまい、その登場は当初の狙いほど衝撃的ではなかったものの、電車で博多駅まで来てそこからタクシーで志賀島という、今合宿に対する意気込みは誰にも引けを取っていない。
準備していたマジックが解き放たれるに及び、静遊館の静寂はもはや回復不能となった。顔や手足などに落書きされるのは当然、衣服の下のあんなところやこんなところにまで書かれ、人権を侵害される者が続出した。それでも皆顔を洗い、幾度となくマジックの海に身を投じた。私の足の裏には「つな」と書かれていたが、私はつなではない。他にもクイズ大会やお絵描き対決などが局地的に行なわれたが、脱落者の数も増え、午前5時、様々な思惑にまみれた福岡合宿1日目が終了する。
- 酒による記憶の混濁のため、事実と違う部分、時系列の乱れなどが無数にあります。指摘される前にとりあえずお詫びしておきます。
翌朝。午前9時。大合唱に明け暮れていた客が、一人を除き朝食の席に揃うとは静遊館サイドも予想できなかっただろう。私は朝ごはん食べない派である。打ち合わせもなしに、朝ごはんに向けて一斉に行動する姿は感動的ですらあったそうだが、静かに眠りたい私にとっては迷惑以外の何物でもない。
志賀島は国宝の金印が出土した場所として知られ、金印公園が整備されている。一夜明けてもまだ酒気帯びの体にムチ打ち、徒歩で向かう。金印は福岡市博物館に収蔵されており、金印公園にはベンチしかなかった。座り込む者、ベンチで寝る者、写真を撮る者、ただタバコを吸う者、斜面を登り始める者。素晴らしい歴史体験ができた。
志賀島発の西鉄バスをバスジャックし、筥崎宮へ向かえと指示したが、ヘンなところで降ろされた。福岡市民であるはっしーが案内を買って出るが、よく分からない。かとぅさんは女子中学生に道を聞くフリをしていやらしい言葉をかけるなど、相変わらずの男前である。何とか西鉄電車を捕まえたが、車内では誰もが「まさをが来たよ!」を決行する機会を覗い、不穏な空気が流れる。このとき初めて私の腹に顔が描かれているのに気付き、皆が喜ぶので不本意ながら私は自分の腹に描かれた顔を、車内で何度も見せなければならなかった。
筥崎宮で私は今年2回目の初詣でを済ませた。今年1回目の初詣でまで5年連続で「末吉」を引いていただけに、何とか大きいのを決めたかったのだが、ここでも末吉。余談だが、後日つなとおかんとかずで大宰府天満宮に行ったときも末吉、近所の埴生神社に散歩に行ったときも末吉。通知表で言えばオール2である。
近くのラーメン屋で昼食の予定だったが、目当てのラーメン屋はまわる寿司屋に乗っ取られていた。仕方なしにキャナルシティのラーメンスタジアムに向かうが、帰りの便が近い香織ちゃんが待つには余りにも混雑していた。1階の「一蘭」に駆け込み、九州最後のラーメンを慌しく平らげると、香織ちゃんは徳島へと帰国していったのだった。そしてはっしーも仕事のため帰宅、私、まさを、かずの北九州組、ちーくん、めぐちゃんのけんたろー邸宿泊予定者もお別れである。キャナルシティの薄暗い駐車場で、レンズの破壊されたあきのカメラに合掌しつつ、我々は皆に別れを告げた。
行き先は私の実家である。私の母とちーくんはメル友である。何気なく秘密の関係なのである。九州上陸が実現し、二人のメル友はついに巡り会ったのである。遠慮しないのがいいところの私の友人たちは、初めての私の実家で、勧められるままに一人当たりビールを2本ほど空けた。
実家を後にした私たちはようやく中間市へ戻り、近所のうまい居酒屋で再び乾杯した。翌日は私が仕事に行っている間に、ちーくんもめぐちゃんも帰ってしまうのである。楽しかった合宿も終わりなのである。
翌日、私はいつも通り職場に向かい、イヤンイヤンと心の中で呪いの言葉を吐きながら仕事した。終業時刻になり、メールを見た。『めぐちゃんまだいるよ』。そんなバカな!
おわり
- 記憶の脱落や話の流れ上、または基本的に一人称の語りなどの理由により、省略されている出来事がたくさんありますが、ご了承ください。「もっとおれのことを書け!」という方がいらっしゃいましたら、自分で書いて下さい。
kentaro nobunaga legacy1390@hotmail.com
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